六代目三遊亭圓楽さんとアントニオ猪木さんが先日続くように亡くなられました。
私にとってお二人に共通するのは、なんだかわからないけど日常生活に欠かせない方々という点。
圓楽さんはご存知、日曜夕方の日本テレビ系列の番組「笑点」に長きにわたり出演され、大喜利ではウィットに富んだ回答をされていらっしゃいました。「笑点」は、夕方6時半からの「サザエさん」と共に、束の間の休憩から月曜日の日常生活に引き戻される前の、日曜夕方の黄昏時のお供のテレビ番組でした。
「えんらくさん」というと今だに、端整ながらも馬面とよく言われ長らく笑点の司会を務めた五代目のイメージがあり、この度の六代目はやはり「楽太郎」がしっくりきます。恐らく故意にお下品な回答をした時など、司会の五代目に「おーい楽さんの座布団全部持ってけ」など言われ、苦々しそうなそれでいて何だか嬉しそうな顔をしていた光景が思い出されます。青山学院大卒で、大喜利の中ではインテリジェンスを感じる回答も多々あった覚えがあります。大喜利メンバー中では腹黒キャラでしたが、各界から惜しむ声が沢山あがっており、人望もあった方なのですね。
笑点の毛嫌いを公言していた立川志らく師匠と、移動中の笑点メンバー達が新幹線内でたまたま同乗し、気まずい雰囲気の中「美味しいあんぱん食べるかい」と圓楽さんが歩み寄ったというエピソードは、人としてこうありたい素敵だなと思いました。
マラソンの瀬古利彦さんに似てるからと、颯爽と走る物真似で「オレたちひょうきん族」などお笑い番組でお若い頃よく出演されていたのをお見受けしましたが、本当に時が経つのは早いものだと思います。
アントニオ猪木さんは私の親が同世代ということもあってか、金曜日の夜8時になると決まって「ワールドプロレスリング」のテレビ中継を観ながら晩ごはんを食べていたのを思い出します。親も特段に猪木さんやジャイアント馬場さんのファンという訳ではなかったように記憶してますが、プロレス中継を点けるのが金曜晩の日課のようでした。
近年では、景気づけの「1! 2! 3! ダー!」の掛け声や「闘魂ビンタ」の印象が強いですが、一時期国会議員であったこともあります。国交のない国でのスポーツイベントの開催などは賛否両論ありましたが、ご自身の信念に基づいたスケールの大きな、余人をもって代えがたい方だったと思います。
ご自身のプロレス引退の際にファンに贈ったメッセージとして有名な言葉があります。
「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ」
こちらは、真宗大谷派の僧職で宗教家でもある清沢哲夫さんが昭和26年に発表された「道」という詩が元となっています。
何故か猪木さんは、この原典を一休宗純(一休さん)としています。
それはさておき、この言葉を目にするたびに、目の前に人生の岐路に立ちすくんでいる人がいる光景が思い浮かびます。
先の政治家時代の独自の活動など、ズバズバ思うがままに突き進んだかのように見えますが、実はその都度迷い有り、この詩を唱えながら進めていったのではないかと思っています。
人生の岐路で迷う方に後ろからそっとかけてあげたら良い言葉だと思いました。
お二人のご冥福をお祈りします。
体幹トレーニング!
久しぶりに、と言ってもまあ半年以上ぶりに筋トレに行きました。
所属する大手のチェーン店「いつでもフィットネス」クラブの門を恐る恐る叩く。
最近多い利用料の安価なタイプの施設で、ランニングマシーンなどの有酸素運動系マシーンやウェイトトレーニングのマシーン、ストレッチのスペースが設けてあり、管理人を兼ねたトレーナーさんは一、二名くらいで、基本的に自分のやりたい時にふらっと行って、やりたい事を自分のペースで回ってさっと帰る利用方法。
私の場合、身体を適度にほぐしたりとか脂肪燃焼の目的でまず10〜15分程度ランニングマシーンで走ります。以前頻繁に利用してた頃は時速11〜12kmくらいでも平気だったが、久しぶりなんで緩めの時速9kmでもなんかしんどい。
その後、マットでストレッチ。身体の中心に近い肩や股関節の硬いこと硬いこと。以前出来てた角度に伸びない曲がらない。まさにマット上でトドがのたうちまわっているような気分。あと久しぶりのせいで、脇腹や背中・腰の筋肉の伸ばされてる感が甚だしい。
次に筋力(筋肉量)アップの為の筋トレ。筋肉量を増やすには基本的に、ウェートを用いてちょっとしんどい重さ(負荷)でマシーンを一定回数動かし慣れたら少しずつ重さを増やす、この繰り返しで筋肉量は増えます。
以前はこのマシーンを用いた筋トレをしておりました。が、年齢を鑑みて過負荷で筋肉を痛める恐れから、ここ数年は自重を使った筋トレにとどめております。
背骨まわりから骨盤、股関節にかけての所謂「体幹部」を鍛えることが、座ったり立ったり歩いたりといった日常の基本的な動作を維持するのに大事なことは以前から言われております。この体幹トレーニングの方法は多々様々な流儀が提唱されてます。
私は以前に所属しておりましたところで導入されていた、腹式呼吸の呼気で下腹を凹ませそれを維持する「ドローイン」と呼ばれる状態でいろいろな体勢をとる筋肉トレーニング方法を提唱する、コバトレと呼ばれているものを取り入れています。
この提唱者の方は医師ではなく、私自身が習った骨・筋肉の解剖生理の知識に照らし合わせるとやってることにエビデンス(医学的裏付け)があるんだろうかと思う事もないではないのですが、同じ骨・筋肉(これに関節を合わせて「運動器」と総称します)を扱う立場で、私達のようなこの運動器の既に起こってしまった怪我を治療する立場と、運動器の怪我の予防目的も含めたそのトレーニングを指導する立場では、捉え方の違いもあり得るのかと割り切って考えるようにしております。
閑話休題、久しぶりの筋トレは屁っ放り腰で、腰が曲がってピシッと伸ばせれなかったりと、本来取らねばならない姿勢・体勢からかけ離れたなんとも無様なポーズしか取れませんでした。しかししんどい。
ところで、先日たまたま点けたサンテレビのゴルフ番組で、ゲスト出演されていたオール巨人師匠の興味深い発言がありました。
最近ではM-1審査員退任が話題に上がるオール巨人師匠ですが、番組中では現在70歳になられても非常に飛距離のあるショットを打たれており、ショット間の移動中にその秘訣として日頃手で支えながらスクワットを毎日30回行って体幹を鍛えていることをおっしゃっていました。
そうなんです、小難しい体幹トレーニングの仕方を習わずとも、いつでもどこでもできるスクワットを毎日するだけで簡単かつ有効な体幹トレーニングになるのです。
正しいスクワットやその他のトレーニングの仕方は下記の日本整形外科学会関連HPをご覧下さいね♪(ロコトレ)
ロコトレ | ロコモONLINE | 日本整形外科学会公式 ロコモティブシンドローム予防啓発公式サイト
しかし私の方、次の日には…なんとも無惨な筋肉痛でありました。日頃人様に筋トレを勧める立場が何たることか。
…これからは休まず続けますね。
いすゞプラザに行きました!II
このクルマ、市販名はいすゞ・ピアッツァと言います。(PIAZZA:イタリア語で広場の意)
正確には、こちらに展示されているのは市販車ピアッツァのプロトタイプのアッソ・ディ・フィオーリ(Asso di fiori:イタリア語でクラブのエースの意)です。
リヤのボディーパネルに、一葉のクローバーがイメージマークとして入っています。
このウェッジシェイプ(くさび形)が大変効いたボディーの意匠デザインを行ったのが、イタリア人のジョルジェット・ジウジアーロさんです。
このジョルジェット・ジウジアーロさん、さまざまな工業デザインに携わっています。著名な市販車では映画バックトゥーザフューチャーで準主役とも言われているデロリアン DMC-12、トヨタの初代アリスト(海外では初代レクサスGS)など多数。
写真の看板の通り、ジウジアーロさんが1979年発表のコンセプトモデル、アッソ・ディ・フィオーリをデザインしました。そしてそのデザインコンセプトをほぼ忠実に再現して1981年にいすゞ・ピアッツァとして市販されました。(ただし市販当初は日本ではドアミラーが認可されておらずフェンダーミラー仕様の為ジウジアーロが憤慨した?とまことしやかに言われていました)
当時の日本では、このピアッツァが属する排気量2000ccクラスの2ドアクーペというと、トヨタ・ソアラやセリカXX(ダブルエックス)、日産フェアレディZなどの日本的、日本人好みのライバルがいました。その為ピアッツァは当時としては大変垢抜けまた華奢な形から、分かる人には分かる存在となり、販売実績は芳しくありませんでした。
このいすゞ・ピアッツァは、私が学生時代に知人から中古を安く譲って貰い(写真手前のモニターにあるような黒色でした)社会人となるまで運転していた思い出深いクルマです。
メカニズムとして、足回りやエンジンなどいすゞ自動車の既存のものを流用したこともあり、カタログスペック上また実際の走行感も他車より秀でていると感じるものはありませんでしたが、非常に趣きのある走りをしていた印象を覚えています。
手放して30年近く経ちますが、ふと無性に会いたくなり検索したところ、こちらでプロトタイプを期間限定で!展示されていると聞き、居ても立っても居られなくなりました。今回は私が所属する骨粗鬆症関連の学会が、東京で催される機会に、こちらに立ち寄って再会が果たせました。
思い返すといすゞプラザの滞在時間の半分以上をこのクルマの周りで過ごしていた気がします。
また手元に置いておきたい一台となりましたが、はてさて如何なりましょうか。
後ろ髪を引かれる思いをしながらいすゞプラザをあとにしました。
いすゞプラザに行きました!
ロックバンド・サザンオールスターズの象徴とも言える湘南海岸にある片瀬江ノ島。その片瀬江ノ島をいだく、神奈川県は藤沢市の内陸部にある、いすゞプラザにやって来ました。
いすゞプラザは、いすゞ自動車藤沢工場に隣接した自動車展示施設です。
いすゞ自動車は今では、ディーゼルエンジンを動力源とするトラック・バスなどの商用車メーカーとして知られていますが、昭和初期に、トヨタ自動車、日産自動車と同時期にできた伝統のある日本の自動車メーカーの一つです。
女性ボーカルの「いーつぅまぁ〜でも、いっつぅまーでもぉ、はぁ〜しーれ走れ、いすゞのトラック♪」という同社のCMソングを、ラジオやテレビCMで聞かれた方もあるのではないでしょうか。
ちなみに数年前には、作業服姿の社長に扮したハウンドドッグの大友康平さんがいすゞトラックの助手席で同歌を熱唱するテレビCMが話題となりました。
(最新の大友さん歌唱のCMはこちらで)
さて、現在は商用車メーカーのいすゞ自動車ですが、実は自家用自動車を、しかもかなり個性的な車づくりをしていた時代がありました。
当時のF1のレギュレーション(規定) に合わせた、3.5L,V型12気筒エンジンを試作して参戦中のF1の実車に載せて貰って試走させたこともあります。
今回は私と関わりのあるそのクルマに再会するために足を運んでやって来ました。
と、近づいてゆくと何やら懐かしいシルエットが見えて来ました!バクバクして参ります!!
ピノ
折檻としつけ〜新聞コラムから
「折檻」(せっかん)とは、親が子を懲らしめることや体罰を意味するが、本来は昔の中国の皇帝を諌めた家臣を朝廷から引きずり出そうとして、家臣のつかまった檻(てすり)が折れてしまった故事に由来する。
法制審議会が、児童虐待の正当化する口実ともなっている民法の「懲戒権」を削除すべきとの答申を出したとある。私個人的には尤もな権利として理解できるようにも思うが、悲惨な児童虐待の事件を目の当たりにすると、こうした権利を認めない風潮も必要かと思い遣られる。
では子供の「しつけ」とは何かどうあるべきかを考えたときに、本来和裁用語の「しつけ」の意義に立ち返る。
しつけとは、本縫いする前に生地のくせ付けの為弱い糸で緩く縫うこと。
「子供のしつけは、しつけ縫いの如く優しく緩やかに根気強く」とは高名な小児科医の言葉だが、本当に尤もなるもなかなか耳が痛い。
子供に関する政策を一元的に担うとされる内閣府の外局として「こども家庭庁」が2023年度に設置予定、またそこが所管する子育て世帯を包括的に支援する「こども家庭センター」を全市町村に設置させる政府方針が最近示された。
子供を取り巻く、いじめ、虐待、貧困などの諸問題が現状より少しでも機能的、機動的に解決される施策となるよう願うばかりである。
ネットのコメント欄と言葉の誤用
ネットニュースを閲覧すると必ずと言っていい程コメント欄を拝見しています。
本当に下らないコメや、ちょっと考えが偏りすぎているのではないかと思われるコメも多いものの、時にはハッとする目から鱗が落ちるような、事象の本質がとても理解できるコメに出会うこともあります。
コロナ禍の世相もあり、なかなか自分より見識の高い方々と交わる機会も設けにくいなか、このコメント欄は自分にとって知性を多少なりとも高める手段の一つになっているのではないかと最近ちょっと本気で思っています。
コメント欄で、コメで使われた慣用句の誤用が話題となることがあります。
ドラマなどで、大役を比較的新進俳優さんが請けた際に、すわ「役不足」と評するコメントを目にすることがあります。
「役不足」とは本来は、本人の能力に対し与えられた役(役割、役職など)が軽い(=不足している)こと。よってここでは誤用となります。
コメ主(コメントの投稿者)が、この際使う適切な用語は「力(量)不足」なのです。
ただ面白いもので、コメ中のこうした慣用句の誤用は、たいがい直ぐに見識のある方々の指摘コメが入り、我々一般の閲覧者たちはそれを目にする事で勉強になります。
この「役不足」の誤用ですが、文化庁の月報に興味深い記載があります。
国語に関する世論調査でこの「役不足」の意味を問うたところ、認識している割合が、平成14年では誤用60%強、本来の意味30%弱だったのが、後年の平成18年では、誤用50%、本来の意味40%と、誤用から元々の意味へと原点回帰しています。
文化庁の月報では原点回帰の理由として、この世論調査の結果が報道等で知られてこの言葉の本来の意味を確かめる機会になったからではとの分析でした。でも私は、ネットのコメント欄などで誤用の記載に対し、本意に正す人がいるのを目の当たりにする機会が増えているからじゃないかなと思っています。
また物事の本質をズバリ捉えていることを「的を得た」とコメしているのを時折見かけますが、これも本来は「的を(矢でズバリ)射る」から「いる」が正しい用語です。
こちらは反対に、「的をえた」の方が言葉の流れとしてその後の言葉につながりやすいからでしょうか、元々誤用ながら日常文の中での使用が認知され次第に広がっているようです。
昨今では、コメ欄でおそらく他の人に突っ込んで欲しいような、故意に誤用の慣用句をコメにぶっ込んでるような雰囲気のものを目にすることもあります。
生きた日本語って面白いですね。
メンタルが強いとは
最近見た、ネットの記事で印象深かったものをご紹介します。
元幹部自衛官で現在は外資系企業に勤める方が書かれた本の中から、メンタルが強いと言われる方の共通点の話です。
要旨としては、メンタルが強いと言われる方々は決して鍛えて強くするのではなく、共通して3つの「心の持ちよう」がある。
第一は「仕事に依存しすぎてない」こと。仕事以外に没頭している趣味があること。
第二は「自分がコントロールできないことに執着しない」こと。自分からボールが離れると途端に無関心になっちゃう人です。
第三は「信じるものがある」こと。これは信仰心という事ではなく、「自分の生き様はこうよ。」と言える人ということです。
第一は、どなたも仕事のストレスの気分転換にちょっと好きな音楽を聞いたりとかはよくある事だとおもいます。さらにとてもストレスフルな立場な方は、そのストレスを打ち負かす、忘れてしまうくらいに没頭できる趣味があったほうがいいよということだと思います。
第二は、これは自分の例ですが、
私はすごく古い車に通勤で乗っているのですが、通勤途中でいきなり止まってしまい、かれこれ半年以上修理工場に入庫したままとなっています。古すぎて故障の原因となった箇所の必要部品の一部が入手困難となっているからなのです。初めの数ヶ月はまだかまだかといらいらしていましたが、あるときから自分がジタバタ考えてもしょうがない、修理をお願いしているところも手を尽くして下さってる訳だしまだお手上げとは言われてないので、どーんと構えて待つしかしゃあないやろという心境となり、それからはまだかまだかとイラつくことも無くなりました(だって自動車部品の供給なんて自分で考えたってどうしようもない事ですもんね)
あとこの記事へのコメントで「仕事上のミスで上司に怒鳴り散らされたときに、怒りまくっている上司は(人の感情はコントロールできないから)放っといて、冷静にミスへどう対処すべきかだけを考えるようにしてる」という趣旨の投稿があり成程なと思いました。
第三は、我が道を行くということで、まわりを見渡せば該当する方おられることと思います。その信念の是非は兎も角、これは尤もだと思います。
この著者のおすすめは、まず第一の没頭できる趣味を見つけてはとのご意見です。
でも私が思うにこの中で一番大事で意識的にすべきことじゃないかな、でもみんながみんなこれできないんだよなぁ思うのは、第二のことだと思いました。
実際には、皆が皆この記事に書かれている「心の持ちよう」を実践してる人ばかりでは、組織や社会はうまく回らないと思います。
でも日ごろ心的ストレスが原因でつらい境遇となられている方の話を目にする度に私も辛く思っておりましたので、そうした方々の下にこの記事の内容が届いて、なにか一助になれば良いなと思いました。
おわり
空中浮遊タワー?(大阪市西淀川区にて)
コラム:私の読書歴 II
承前
「風立ちぬ」堀辰雄
私の世代としてはこのタイトルを聞くと松田聖子さんの歌が自然と(勝手に)頭の中を駆け巡ります。
実はこの歌を企画したディレクターさんが題材とし、またその作詞者の松本隆さんが情景を思い浮かべるモチーフとしたのも、この堀辰雄の「風立ちぬ」です。前の武蔵野から大分と現代に近い昭和11年発表の作品です。
こちらは、美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、当時は有効な治療方法のなかった結核に冒されている婚約者に付き添う「私」が、やがて来る愛する者の死を覚悟し、それを見つめながら2人の限られた日々を「生」を強く意識して共に生きる物語です(ウィキペディアより要旨引用)
婚約者の節子さん(堀辰雄の実際の婚約者矢野綾子さんがモデル)が結局のところ亡くなってしまい、最終章では主人公は彼女の生前を回想をするのですが、その際の彼女の最期を過ごした軽井沢の情景描写が秀逸で、この作品本来は悲しい物語のはずなのですが読んでいると現実を忘れて軽井沢に滞在した優雅な気分になってしまいます。ちなみに作詞家の松本隆さんは自身が修学旅行で行った軽井沢で見かけたホテルのカフェテラスの情景を思い浮かべ歌謡曲「風立ちぬ」を作詞されたとのことです。
二回にわたり私の読書歴を紹介しましたが、先に書きましたように古典名作はスマホでタダで読めて、実生活から暫し離れられる手軽な現実逃避旅行として特に昨今の時節柄お勧めの趣味です。皆さんいかがですか。
春の軽井沢
冬の浅間山
コラム:私の読書歴
昨今は、歳のせいか根気がなくなってか、じっくりと腰を据えての読書がトンと減りました。
それでも、最新のスマホは便利なもので、携帯操作で居ながらにしていろいろな書物をダウンロードで読書ができる便利な世の中になったものです。
流行りの書物を取り寄せ(今的にはDLですか)紐解くのも一興ですが、旧世代の者としては、やはり子供の頃は図書館でしか読めなかった古今の文豪の名作の多くが版権切れ(現在は著作権の保護期間は作者の死後70年とされています)で、無料で読めるのがやはりスマホ読書の醍醐味です。
近畿圏で育ち暮らした期間が一番長い自分が、何故だかよくわかりませんが近代の関東甲信越方面の風情や情景がすごく想像されるものとして好きな作品が
「武蔵野」国木田独歩
東京の日本テレビ制作の「ぶらり途中下車の旅」という番組があり、この辺りではサンテレビで野球中継がないときに、本放送から数カ月遅れの分を放送しています。この番組はさまざまな芸能人がナビゲーターとして主に首都圏の鉄道路線に沿って途中下車した街をぶらつき、その土地のお店や施設を尋ねてゆく番組です。尋ねる多くの路線はやはり東京都下が多いのですが、構成上その土地の自然に触れるシーンが間々見受けられます。東京に居住したことはないのですが、イメージしているよりも地形や川の存在感が番組上感じられ東京の自然を探訪した気分になれる実はひそかに好みのテレビ番組であります。
これを見ていて、東京都心で土地に結構アップダウンがあることに気付きました。それで調べてみると、東京は武蔵野台地が西から都心まで迫っていてその上にできた都市であることを知りました。
万葉集のころから呼ばれていた武蔵野ですが、明治期に都市化が進む中で昔ながらの武蔵野の情景がまだ残っていたのが東京西郊の丘陵地帯とされ、その風景を描いたのが国木田独歩の「武蔵野」です。
内容的には、武蔵野の四季折々の風景美を描いた随筆で、まあ特に関西人で何がおもろいんやと言われればそうなのですが、日頃我々が触れる機会のある六甲山系の自然とは違った自然美とくに明治期のまだまだ野生の残る武蔵野の場面を思い想像するのが、現実世界から逃避に最適な気がしません…ですかね?
ご興味の湧いた方は是非ご一読を。ダウンロードは無料ですよ!
井の頭公園内の神田川源流