ネットのコメント欄と言葉の誤用

 ネットニュースを閲覧すると必ずと言っていい程コメント欄を拝見しています。

 本当に下らないコメや、ちょっと考えが偏りすぎているのではないかと思われるコメも多いものの、時にはハッとする目から鱗が落ちるような、事象の本質がとても理解できるコメに出会うこともあります。

 コロナ禍の世相もあり、なかなか自分より見識の高い方々と交わる機会も設けにくいなか、このコメント欄は自分にとって知性を多少なりとも高める手段の一つになっているのではないかと最近ちょっと本気で思っています。

 コメント欄で、コメで使われた慣用句の誤用が話題となることがあります。

 ドラマなどで、大役を比較的新進俳優さんが請けた際に、すわ「役不足」と評するコメントを目にすることがあります。

 「役不足」とは本来は、本人の能力に対し与えられた役(役割、役職など)が軽い(=不足している)こと。よってここでは誤用となります。

 コメ主(コメントの投稿者)が、この際使う適切な用語は「力(量)不足」なのです。

 ただ面白いもので、コメ中のこうした慣用句の誤用は、たいがい直ぐに見識のある方々の指摘コメが入り、我々一般の閲覧者たちはそれを目にする事で勉強になります。

 この「役不足」の誤用ですが、文化庁の月報に興味深い記載があります。

 国語に関する世論調査でこの「役不足」の意味を問うたところ、認識している割合が、平成14年では誤用60%強、本来の意味30%弱だったのが、後年の平成18年では、誤用50%、本来の意味40%と、誤用から元々の意味へと原点回帰しています。

 文化庁の月報では原点回帰の理由として、この世論調査の結果が報道等で知られてこの言葉の本来の意味を確かめる機会になったからではとの分析でした。でも私は、ネットのコメント欄などで誤用の記載に対し、本意に正す人がいるのを目の当たりにする機会が増えているからじゃないかなと思っています。

 また物事の本質をズバリ捉えていることを「的を得た」とコメしているのを時折見かけますが、これも本来は「的を(矢でズバリ)射る」から「いる」が正しい用語です。

 こちらは反対に、「的をえた」の方が言葉の流れとしてその後の言葉につながりやすいからでしょうか、元々誤用ながら日常文の中での使用が認知され次第に広がっているようです。

 昨今では、コメ欄でおそらく他の人に突っ込んで欲しいような、故意に誤用の慣用句をコメにぶっ込んでるような雰囲気のものを目にすることもあります。

 生きた日本語って面白いですね。