ゴルフを習っているのですが

今習っているゴルフの師匠から先日言われたのが

「小学生のジュニアの生徒さんは『今のスイングで何が出来たか、良かったか?』と聞いてくるが、大人の生徒さんは『何が出来てなかったか、どこが悪かったか?』ばかり聞いてくる」

と言われました。

ゴルフスイングは、クラブを振り上げて振り下ろしてボールを打って最後の姿勢に至るまでの各フェーズで、からだの動作において様々な意識すべきポイントがあり、その積み重ねの最終結果がボールの飛びに反映されると考えられています。

大人は職業や学歴を問わず、人生経験において色々な物事をこなしてきており、その過程で人により多い少ないはありましょうが、その物事をうまくこなすにはどうしたらいいかまたうまく出来ない時は何がまずいかをすぐ考えるようになってきています。

そのため、ゴルフショットで飛びが不調だと大人はすぐに(自分のスイングのどこがまずかったのか)と考えがち。

最近だとネットで不調の原因を検索すれば(例えば右に飛ぶのは何がまずいか?とか)動画付きのアドバイスもたくさん見られるので、ますます自分であれこれと探りがちです。

しかし師匠曰く、自分がダメなところをしらみ潰しに探して対策していくような練習法では今ひとつ上手くなりにくいとの事。

ジュニアの方はとにかく無邪気に無心に打たせる、そして指導の立場からどうしても言わなあかん必要最小限なことだけちょこっと伝えてまた打たせる。この繰り返しで本当に早く上達するそうです。

また基本的に子供は大人よりも、褒められたい願望を素直に出す方が多いようで、良い点を出来るだけたくさん言って後でちょこっと修正点をアドバイスすることで、相乗効果でアドバイスがよく効くようです。

これは、大人が自分で物事をこなすときにも取り入れたらよいのではと思いました。

大人になると人生経験も相まって、何かと出来ないことばかり気にしがちです。

精密性・緻密さを最初から要求されるようなことは当てはまらないかもしれません。

私達が日々こなしてゆかないといけない事柄も、よくよく考えると、多少のまずさ、不出来も許容されるような物事や繰り返し行う事で上手く出来てくるであろう事柄も多いと思います。

執り行う自分に対し例え不出来でも寛容さを持ってゆく、さらにはいまさら子供みたいと言わず、上手く出来たことは自分で褒める(コレが大事!)。これ繰り返す事で物事も最終的には上手くいき、また心身の不調なんかもこの心持ちである程度防げるのかな、なんて思いました。

「たかがゴルフ、されどゴルフ」とは、ゴルフコースをパー(基準打数)でラウンド出来るような立場の方が、そのようなレベルの方でもゴルフの奥深さを感じるような時に用いられる言葉だと思っております。

が、そのようなレベルに程遠い修練中の身にも、日頃の心の持ちようといったまた別の意味で「たかがゴルフ、されどゴルフ」、しみじみ感じます。