「折檻」(せっかん)とは、親が子を懲らしめることや体罰を意味するが、本来は昔の中国の皇帝を諌めた家臣を朝廷から引きずり出そうとして、家臣のつかまった檻(てすり)が折れてしまった故事に由来する。
法制審議会が、児童虐待の正当化する口実ともなっている民法の「懲戒権」を削除すべきとの答申を出したとある。私個人的には尤もな権利として理解できるようにも思うが、悲惨な児童虐待の事件を目の当たりにすると、こうした権利を認めない風潮も必要かと思い遣られる。
では子供の「しつけ」とは何かどうあるべきかを考えたときに、本来和裁用語の「しつけ」の意義に立ち返る。
しつけとは、本縫いする前に生地のくせ付けの為弱い糸で緩く縫うこと。
「子供のしつけは、しつけ縫いの如く優しく緩やかに根気強く」とは高名な小児科医の言葉だが、本当に尤もなるもなかなか耳が痛い。
子供に関する政策を一元的に担うとされる内閣府の外局として「こども家庭庁」が2023年度に設置予定、またそこが所管する子育て世帯を包括的に支援する「こども家庭センター」を全市町村に設置させる政府方針が最近示された。
子供を取り巻く、いじめ、虐待、貧困などの諸問題が現状より少しでも機能的、機動的に解決される施策となるよう願うばかりである。