このクルマ、市販名はいすゞ・ピアッツァと言います。(PIAZZA:イタリア語で広場の意)
正確には、こちらに展示されているのは市販車ピアッツァのプロトタイプのアッソ・ディ・フィオーリ(Asso di fiori:イタリア語でクラブのエースの意)です。
リヤのボディーパネルに、一葉のクローバーがイメージマークとして入っています。
このウェッジシェイプ(くさび形)が大変効いたボディーの意匠デザインを行ったのが、イタリア人のジョルジェット・ジウジアーロさんです。
このジョルジェット・ジウジアーロさん、さまざまな工業デザインに携わっています。著名な市販車では映画バックトゥーザフューチャーで準主役とも言われているデロリアン DMC-12、トヨタの初代アリスト(海外では初代レクサスGS)など多数。
写真の看板の通り、ジウジアーロさんが1979年発表のコンセプトモデル、アッソ・ディ・フィオーリをデザインしました。そしてそのデザインコンセプトをほぼ忠実に再現して1981年にいすゞ・ピアッツァとして市販されました。(ただし市販当初は日本ではドアミラーが認可されておらずフェンダーミラー仕様の為ジウジアーロが憤慨した?とまことしやかに言われていました)
当時の日本では、このピアッツァが属する排気量2000ccクラスの2ドアクーペというと、トヨタ・ソアラやセリカXX(ダブルエックス)、日産フェアレディZなどの日本的、日本人好みのライバルがいました。その為ピアッツァは当時としては大変垢抜けまた華奢な形から、分かる人には分かる存在となり、販売実績は芳しくありませんでした。
このいすゞ・ピアッツァは、私が学生時代に知人から中古を安く譲って貰い(写真手前のモニターにあるような黒色でした)社会人となるまで運転していた思い出深いクルマです。
メカニズムとして、足回りやエンジンなどいすゞ自動車の既存のものを流用したこともあり、カタログスペック上また実際の走行感も他車より秀でていると感じるものはありませんでしたが、非常に趣きのある走りをしていた印象を覚えています。
手放して30年近く経ちますが、ふと無性に会いたくなり検索したところ、こちらでプロトタイプを期間限定で!展示されていると聞き、居ても立っても居られなくなりました。今回は私が所属する骨粗鬆症関連の学会が、東京で催される機会に、こちらに立ち寄って再会が果たせました。
思い返すといすゞプラザの滞在時間の半分以上をこのクルマの周りで過ごしていた気がします。
また手元に置いておきたい一台となりましたが、はてさて如何なりましょうか。
後ろ髪を引かれる思いをしながらいすゞプラザをあとにしました。